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松浦理英子『ナチュラル・ウーマン』

ナチュラル・ウーマン (河出文庫)

ナチュラル・ウーマン (河出文庫)

実際に舌が焼けただれるはずもなかったにせよ、言語機能と味覚に障害が残るのを覚悟して私は受けようとしたのだ。この人に傷を負わされるなら本望だ、と。

「またこいつと会ってしまった、と思った?」
花世は書かれた文章を読むような調子で答えた。
「別に、ただ、時間が巻き戻されたかと錯覚したわ。」

彼女はハートのエースのようなものだった。私の切札だった。

「間違えたの。」

実際にやってしまうよりやりたいやりたいと熱望している状態の方が幸せだ、と声に出さずに言ってみてすぐ、今のは正しくない、と思う。そもそも私は何がほしいのだろうか。どうすれば誰かと共にあって「幸せ」になれるのだろうか。

歪んだ表情を見られまいとして私は体を捻った。もうひとことでも追い討ちをかけられたら涙が出るに違いない。花世の意図を推し量る余力はなかった。悲しいだけだった。

「どうしたの?」
「どうもしないわ。」顔を上げずに花世は言った。「泣いているだけよ。」

「私を好き?」
泣きたい気持ちで声を出す。
「好き。」
「嘘つき。」
三度目のスリッパを受ける。
同じ問に同じ答を返し同じ打撃を受けるうちに、「なぜ」という疑問は頭から叩き出されて行った。残っているのは「好き」ということばだけ、あとは空白だった。