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Gilles Deleuze『意味の論理学』

意味の論理学〈上〉 (河出文庫)

意味の論理学〈上〉 (河出文庫)

もちろん、アリスがもっと大きいこととアリスがもっと小さいことは、同時ではない。しかし、アリスがもっと大きくなることとアリスがもっと小さくなることは、同時である。アリスは今はもっと大きい、アリスは以前はもっと小さかった。しかし、そうであったのに比べてより大になることと、そうなるのに比べてより小となすことは、同じ時に一挙にである。これが生成すること[=なること]の同時性である。

ジャバーウォッキーに糞便性の条りはある。しかし、英国スノッブの糞便性だ。

もはや、前提とされる出来事から、事物の状態での出来事の実現へと、また、命題での出来事の表現へと移行するような静的発生が眼目なのではない。いまや、事物の状態から出来事へ、混在から純粋な線へ、深層から表面の生産へと直接的に移行する動的発生が眼目である。

口−肛門のシステムや食物−排泄物のシステム、掃き溜めの宇宙では、身体は破裂し破裂させられる。

すべての器官と同じく、ペニスは深層での冒険を知っている。深層では、ペニスは、細分化され、母の身体の内部と子どもの身体の内部に置かれ、攻撃するものであり攻撃されるものであり、有毒な一片の食べ物、爆発する排泄物に同化される。そして、ペニスは高所での冒険も知っている。高所では、完備で善き器官としてペニスは、愛と制裁を与え、同時に退去しながら、全き人物や声に対応する器官を、言いかえるなら、両親を組み合わせたイドラを形成する。

すなわち、ファロスは、突っ込まれるべきものではなく、大地の薄い肥沃層に向かう犂のように、表面に線を引くものである。

チェシャ猫は、善き対象、善きペニス、高所のイドラや声である。

表面は裂け、「一組のカードが飛び散って、アリスの上に落ちてきた」。